風浪宮

風浪宮とは

風浪宮のご案内

風浪宮

一八〇〇年の歴史を刻む風浪宮

当宮は、御鎮座一八〇〇年(平成十三年秋)を数える由緒と「おふろうさん」の名で、皆様に広く親しまれているお社です。境内には、弥生時代の人々が生活した証としての貝塚や、初代神主磯良丸塚(支石墓)があり、金印発掘地で知られる玄海の志賀海神社(宮司阿曇姓)と対比されます。
有明海における海洋民族の根拠地でもありました。平安時代初期の天慶七年には、東社西社の二つのお社を持つという格式を備え、江戸時代には海上守護の神として大阪廻舟問屋衆をはじめとした信仰や、更には勝運の神として久留米藩主をはじめ国司賢将の厚い庇護を受け、今日に至っております。
現在も年に一度の二月の大祭では江戸期寛文年間には始まっていたとされる神幸(市内巡幸)が行われ、裸ん行や流鏑馬神事など筑後三大祭として毎年多くの善男善女の参拝で賑わいをみせております。

御由緒

本宮は神功皇后が新羅御新征よりの帰途(西暦一九二年)軍船を筑後葦原の津(大川榎津)に寄せ給うた時、皇后の御船のあたりに白鷺が忽然として現われ、艮(東北)の方角に飛び去りました。皇后はその白鷺こそ我が勝運の道を開き給うた少童命の御化身なりとして白鷺の止る所を尾けさせられ、其地鷺見(後の酒見)の里を聖地とし、武内大臣に命じて仮宮(年塚の宮)を営ませ、時の海上指令であった阿曇連磯良丸を斉主として少童命を祀りました。(旧暦十一月二十九日)
古来より風浪の灘を守護し給うにより風浪を社号とし代々の久留米有馬藩主の崇敬厚く国司賢将始め筑後国一円の信仰をあつめ、俗に「おふろうさん」と呼び親しまれ勅命社として千八百余年の由緒をもつ著名の大社であります。

御祭神
御祭神
相殿御祭神
相殿御祭神
御社殿

文化財

風浪宮 本殿 旧国宝、現国指定重要文化財
石造五重の塔
風浪宮 石造狛犬 福岡県指定文化財
※双獅子の合体彫刻で宗風の技法がうかがわれ、宗像大社、観世音寺の重要文化財指定のものと同系列であります。
白鷺の楠 福岡県指定天然記念物
流鏑馬 大川市指定無形民俗文化財

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