風浪宮

神社行事

祭典行事のご紹介

春の行事

4月

清鳴弦御祈祷(ひきめんごきとう)/ お弓神事

火清鳴弦御祈祷

4月下旬の3日間
火清鳴弦御祈祷の火清とは氏子皆様の身体を魂から清め家々の竃の不浄を祓うとの趣旨であり、鳴弦は弓の弦を弾く音の法力で悪魔を祓うとの謂れであります。
この神事に参列する人は古来、祈り畳んだ昆布を白紙で包み三○糎(cm)ぐらいの竹串に挟んで奉納して祓いを受けます。
この昆布は帰宅後、適宜調理して食し身体内部まで浄めます。風浪宮境内に伝わる袂石にもまつわることですが神功皇后が朝鮮より帰国されてからのお産が死霊の障りで殊の外、難産であったが火清鳴弦御祈祷と同じく八ツ目の鏑矢を以って天地四方を祓って無事皇子(のちの応神天皇)が誕生されました。
すなわち風浪宮が安産の神様としても崇められている所以であります。神社では祈祷中の三日間、宮司以下神職は油断ち獣肉断ちをして日に三回の潔斎を行って火清鳴弦御祈祷を厳修致し皆様の罪穢れを祓い家内安全、無病息災、商売繁昌、交通、海上安全を神前に特別祈願を致すものであります。

詣り海神祭(おきまいりかいじんさい)/ 海上安全・海産豊漁大祈願

沖詣り海神祭

旧暦4月1日
十時 小船に乗り宮司、神職等大御幣を舳先に挿立て、太鼓にて振々と囃しながら花宗川を二○○メートル程遡り、北酒見の皇后社(オゴドンさん)を三度回って船上より拝礼し「沖詣りに行って参ります」と、申しあげ(三度回るのは、お連れする意味である)途中、向町水天宮と榎津の日吉神社を船上より拝礼後大川漁港まで行く。到着後、御座船のブリッジの左右に風浪宮神殿から遷座された大御幣を一体ずつ祭る。大御幣は矛を象り石突から切先まで二メートル一○センチ。柄は黒漆塗り。御幣がたくさん付けられている。別に吹き流しと「磯良丸」と染め抜いた小旗が飾られる。「磯良丸」は、神功皇后が新羅御親征の時、千珠満珠を持って皇后に従い船団の海上指揮をとった航海熟達の海士で風浪宮初代宮司、現宮司阿曇史久氏はその第六十七代の子孫にあたる。
随伴船は二○隻余り。大川漁協連合会の漁船で中に「石橋丸」「六郎丸」「古賀丸」「与賀丸」「徳丸」の小旗を飾った漁船もある。これらは、磯良丸に仕えた船頭のうち七名も此地に生業を得て当時の船名を襲ぎ宮乙名と称して祭事に奉仕する。総代さんたちや漁協関係者、さらには一般の氏子崇敬者も集まって来た。一二○人くらいであろうか。十一時三○分出航。「磯良丸」には大御幣共奉する宮司以下祭員三名。宮乙名五名である。宮乙名は、神事進行上、それぞれの由緒の船に分乗せず、「磯良丸」に同乗。
十一時五○分、新田大橋下を通過。宮乙名は、三束の藁を取り出し、「三段浮かし」を作り始める。一掴みほどの藁を絞るようにねじり、継ぎ足しながら長く束ね、まず、直径五○センチの藁の輪とし、さらに藁を継ぎ足しながら、しだいに円錐形にまとめていく。 高さは三○センチである。二つ作るという。十二時間頃筑後川河口にたどり着く。右岸は河口の大野島の鼻である。この島の鼻は佐賀県である。左岸は柳川市である。河口にはたくさんの潮干狩りの船が、潮待ちしている。
十二時二○分「三段浮かし」が二つできた。円錐形の頂部に「百田紙」という白紙を被せ、竹筒三本の小幣を一本ずつ挿す。次にその三本の竹筒と三体の小幣の都合六つを、麻の苧で結び回す。その麻の苧の輪の中に、三枚の土器を置き、小さく円錐状に握った小豆飯の「オゴクサン」を載せる。三本の竹筒には「オミキサン」を注ぐ。十二時四○分「磯良丸」を停め、宮乙名二名が、それぞれ手にして、丁寧に御祈念し、沖に出てお詣りし海神祭を執行するお許しをお願いする。「三段浮かし」は、沖に流れて行く。御嘉納になる、というしるしである。
船中では、束の間だが直会である。十三時碇を下ろす。百貫灯台である。沖の島は、真西に一五~二○キロメートルかという。 十三時三○分潮目が立ち始めた。干潮で刻々と浅くなっていく遠浅の海の中を、筑後川の本流がこんな遠くまで流れていて、極度に浅くなった今、筋目を見せ始めたのである。細くさらに沖まで続いている。やがて、ガタ(干潟)を出す筋目も現われて来た。十三時三五分。船ごとにエンジンを掛けそれぞれガタに乗り上げる。船からガタに下り立つと、宮乙名たちはすぐ祭壇の準備である。樫の若木に木綿紙垂を掛けて、神籬祭壇を浄整。両脇に大御幣の矛を突き立てる。その神籬の西側に上下二つの案を置く。上段右からグチの熟饌二尾、御神酒(瓶子一対)、米(一升三合)、グチの熟饌二尾。下段右側に野菜、海産物、果物である。沖詣りの供物にグチの煮付けは決して欠かせない。二尾は風浪宮、二尾は宮乙名からの供物である。この祭壇の四隅に忌笹を立て注連縄を掛ける。向かって右(南)には太鼓を据える。
十四時。海神祭である。神籬祭壇を東に、向かって左(北)に宮司以下祭員。向かって右(南)に宮乙名。正面(西)、神籬祭壇に向かって総代・漁協関係者、また一般の氏子崇敬者である。まず、号鼓。次に修祓。次に降神の儀。次に献饌。次に祝詞が奉上される。今しも降臨された風浪宮の御祭神に対し奉り、有明の沖の干潟に、年毎の例のまにまに沖詣を仕えまつるについては、この海に過事なく、海人たちの生活豊かに、海行く船の安らかに、夜の守り日の守りに守り給い幸い給うように、と奉上される。
次に玉串奏奠である。樫の枝に紙垂の付いたもので珍しい。宮司まず捧げて拝礼し、次いで宮乙名、総代の順である。最後に昇神の儀で終わる。全員に用意の土器が渡され、御神酒を順次頂戴する。潮が満ちるまで、しばらく一同潮干狩りに興ずる。祭壇のグチは、帰りの船中での直会で頂戴することになる。沖詣りは、沖に降臨する神霊をお迎えに行く神事。
※以上 西南学院大学 山中耕作氏論文より抜粋

夏の行事

7月

越祭(なごしさい)

夏越祭

7月末の日曜
大祓は季節の節目に行なうもので、夏の大祓は「夏越の祓」といわれ起原は遠く神代に遡ります。捨遺和歌集にも水無月の夏越の祓する人は千歳の命伸ぶというふなりと詠まれています。
夏越はこれから迎える暑い夏をつつがなく越したいという願いであり、また作物や生活を害する悪霊たちを祓い清めるものとして、古より千歳の命伸ぶとされています。参拝者全員で和歌を奉唱した後、茅の輪をくぐり、また形代の人形に息を吹きかけ身体をなで、半年の罪穢れを移して海に流します。

秋の行事

10月

魂祭(もっこんさい)

木魂祭

10月木工祭前日
大川木工まつりの開催の前夜に木魂を慰める神事が執り行われます。
拝殿前に屋久杉の大木を据え、しめ縄を張り宮司が祝詞奏上の後、木工祭実行委員会他が御神酒を木にそそぎかけ木工業の発展を祈ります。
浄闇の境内には篝火が焚かれ雅楽の調めが流れる中、荘厳な雰囲気を醸し出しています。

火祭(ちんかさい)

鎮火祭

11月上旬
火災が起こらないように祈願する祭です。
(ほしずめのまつり)
毎年秋十一月上旬の日曜日に大川市消防団も参加のもと斎行。
当日は宮司以下神職が本拝殿にて鎮火祭典後、境内に設けられた斎場に宮司が斎火を点火後、狩衣、袴姿の消防団長が水苔を火に投じ、次に副団長が川砂と桶の水にて消火します。
宮中でも古来より卜部家により行われた火伏せの神事です。

11月

五三祭(しちごさんさい)

七五三祭

11月1日より末日迄
昔の髪置の祝い(三歳)、袴着の祝い(男児五歳)、帯解の祝い(女児七歳)の習慣が基となり、氏神様に詣でて子供の成長・無病息災等を祈願する祭。十一月十五日に行なわれるようになったのは、五代将軍徳川綱吉公の時の将軍のお子様の祝いが行なわれたことに始まるという説があります。
当宮ではご祈願を受けられましたお子様へ「七五三守り」「千歳飴」などを授与致しております。

冬の行事

12月

燈明祭(みあかしさい)

御燈明祭

12月31日
大晦日の夜に神社で行なわれる行事で年越祭とも呼ばれます。

1月

旦祭(さいたんさい)

歳旦祭

1月上旬
その年の初めに皇室の弥栄・国の隆昌・安泰と氏子崇敬者の平穏等を祈る祭です。


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義長祭(さぎっちょさい)

左義長祭

1月14日
参拝者よりお持ち頂いた、古いお守り、しめ縄、しめ飾り等の正月の縁起物が山の様に積まれ、又その上に五色の幟が取り付けられた左義長を宮司がお祓いの後斎火により点火されます。
寒い夜空に真っ赤な火が立ち上る様は壮観です。この火に当たると一年間無病息災と云われております。この神事の後、すぐに御殿では恒例の玉換祭が始まります。
境内も一年の運試しに所狭しと詰めかけた善男善女で埋まる頃、神社世話役、総代さんたちよりボール投げが始まり、それを受け取った人々には各々、お年玉替りの品が手渡されます。
次に事前に授与所等でナンバー付きその年の干支土鈴(一体三百円)を手にした参拝客は拝殿で行なわれる抽選会を固唾をのんで見守る中、次々と当選番号が決まり各々御神酒の一合、五合、一升、五升と当たり最後に御供の大鏡餅や一刀彫りの大きな干支置物等の特賞が当たり皆々恵比寿顔で帰られます。
戦後から続いている伝統行事でどなたでもご参拝ご参加出来ます。どうぞ御詣りください。

2月

浪宮大祭(ふうろうぐうたいさい)/ おふろうさんまつり

風浪宮大祭

2月9日より3日間
久留米高良大社や水天宮と共に、筑後地方の三大祭りの一つに数えられる風浪宮例大祭は通称「おふろうさん」と呼ばれ、二月八日の「裸ん行」を皮切りに九日より十一日まで盛大に行なわれ十五万余りの参拝客で賑わいます。 大祭の三日間は潮井まいり、御神幸、流鏑馬、等の古式豊かな神事がくり拡げられまた、境内には串柿市、植木市、その他の催しものがあり二百~三百軒余りの露店が立ち並び盛況を極めます。

※平成二十九年より、裸ん行は二月十日に変更


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